本格的な雨の季節となり、毎年繰り返される豪雨災害について書こうと思っていた矢先に今年もまた起きてしまいました。被災された方々にとって、直後にそのことに触れるのはどうなのかとも思いましたが、その度に本質的な議論を避け、想定外の一言と地球温暖化による異常気象などという曖昧な根拠で人々の不安を煽り、コンクリートによる堤防強化や砂防ダムなど過剰な公共工事を正当化し、土砂崩れが起きるのは森が手入れされてないからだと、まったくのデタラメで森林整備の必要性を訴えてきたことについて思うことを書きます。
まず始めに豪雨はもはや異常ではありません。100年に一度でもなく、記録的でもなく、記録は年々更新され続けるでしょう。なぜなら人の行為により地上と地下の水のバランスは狂い続け、とっくに許容の限界を超えているからです。
原発事故やその後の再稼働と同じく、戦争でもないのに多くの人が居住地を追われ、亡くなるという不幸さえも経済成長の原動力とし、そしてそれらすべての不幸の尻拭いは国民に。ボランティアという名のタダ働きを強要し、絆だ!一丸だ!と、美談で持ち上げてきた。 この国の地上波メディアと学者たちの嘘と金にまみれた無能さは今回のコロナ騒ぎでもさらに明らかになったと思う。一方でテレビ離れも加速し、ネットを通じて様々な配信がされるようにもなってもきました。ネット社会の情報が玉石混交なのは当たり前で、大事なのは自分で見て考えたことを基準にそれらを選択することです。
僕は自分で見た森のことを写真で、そして言葉でも伝える。 何故それをするのか?なぜ森なのか?
原発事故による放射能汚染や、農薬散布による食品汚染、エネルギー問題や貧困や格差も…世の中の様々な問題と、それらが解決しないことの根本はただ一つの社会構造によるものだと考えます。立場による利害が絡み、事実もデータも都合の悪いことは隠蔽され、メディアは本当のことを伝えない。多くの国民は洗脳により思考停止に陥り、たとえ疑問を持ったとしても素人が容易に証拠に辿り着けるものではなく、結局は専門家の言いなり。素人は口を出すな!ただ従うだけです。
森はそれらと違いすべて目視できます。近代日本国政府が行ってきた原生林伐採、そして今も続く植林による森林破壊。それによって今、何が起こっているか、誰が儲けて誰が被害を被っているのか、原因と結果の因果関係も思考停止状態を脱し、ちゃんと考えれば素人でもすぐに理解するでしょう。専門家と言えども、たかだか数十年机上で勉強したに過ぎず、自然の成り立ちという尺度で見れば素人同然です。大きすぎるウソはとても隠蔽できるものではなく、「人も他の生き物同様に自然の一部」これは紛れもない事実です。
不条理にまみれた社会、この閉塞から脱却するには大きな価値観の転換が必要です。これまで常識とか通説として擦り込まれてきたものすべてをゼロから自分の感覚で考え直すこと。江戸時代から明治へ、戦前から戦後への変化と同じかそれ以上のパラダイムシフトです。
森林はその突破口になれると思います。生まれ落ちた時から続く洗脳から逃れるには、物事を悠久の自然の視点から考え直すこと。それしかないと思うからです。森の撮影を通して見てきたものや感じることを写真展で、また、ここでも話そうと思います。今は関心持てなくても、いつか自分で気づいた時に見て欲しいからブログにまとめて見ます。
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