人は森に生かされている

 

「〇〇に生かされている」これは感謝の気持ちと謙虚さを示す仏教用語だそうですが、ここでいう「森に生かされている」とは、そのものズバリ「森がなければ人は生まれなかったし、生きていけない」という、初めて訪れたブナの森でそう直観した僕の体験によるものです。

 

長いブランクの後、もう一度感動から始まる写真を撮りたいと、生まれ育った関西を離れ信州に移住したのが20年前。当初は各地で四季の美しさを追うのみの撮影でしたが、そんな僕に転機が訪れたのは2000年の5月、ある出逢いに導かれるように訪れた信越国境にまたがる天水山のブナの森で見た光景でした。残雪模様と新緑に包まれた不思議な空間を朝の陽射しが赤く染めたその数時間後、突然森に雷鳴が轟き、真っ黒な雲が湧き天候が一変し、土砂降りの豪雨で見る見るうちに黒く染まった樹々は濃い霧に包まれた。雨はその後も激しく降り続いたが、森はとても静かだった。すると今度は雨と同時に森に陽射しが降り注いだ。その場に立ち尽くし目の前の光景を見続けた僕は、なぜか不思議な安堵感に包まれていた。「人が森を守るのではなく、人は森に守られ生かされている。」その時そう直観した感覚がその後の写真活動を方向付けることになる。

折しも地球温暖化という言葉を頻繁に聞くようになり、温室効果ガス対策として森林が注目され始めていた。「人が関わらなくなった森が荒れている」人が猟をしなくなって「増えすぎた動物が森を食い荒らす」など、そのどれもが僕が見てきた森とはかけ離れた馬鹿げた話に思えた。そしてその対策として打ち出された政策はどれも環境とは名ばかりの経済対策だった。以来、「成長」の呪縛に囚われ、あまりに経済目線に偏った社会に警鐘を鳴らすべく各地で写真展を開催しメッセージを発信してきた。信州移住20周年の今年、安曇野市穂高のギャラリーレクランの五つの展示室すべてを使った過去最大の個展を開催する機会をいただき、これまでの集大成としての76作品と共に「森に学んだ自然観」を散文で添えました。その全作品と実際の個展では展示できなかった作品も加えたwebバージョンでご覧ください。